平成3年に3市町村が合併して誕生した人口93,088人(平成28年3月末日)の都市。岩手県南部に位置し、農商工のバランスのとれた北東北随一の産業集積を誇る活気ある都市として全国的にも注目を集めている。また、きたかみ展勝地の桜やみちのく民俗村、夏油高原スキー場といった自然・歴史資産にも恵まれており、春夏秋冬を問わず「人・モノ・情報」が活発に行き交うまちである。
■ロケーション ~ 都市と田園が調和したまち 岩手県のほぼ中央、北上盆地の中ほどに位置し、市本庁舎付近は東経141度7分、北緯39度17分2秒である。盛岡市へは約45㎞、仙台市へは約138㎞、秋田市へは約107㎞、東京には約490㎞である。地勢は、中央部に平野が広がり、東部が北上高地の丘陵地、西部には奥羽山脈の山々が連なる。平野部の東端を南流する北上川と市の中央部を東流する和賀川が合流し、田園地帯を潤す。
■主要交通手段 ~ 「北東北の十字路」と呼ばれる交通の要衝 現在、市内をJR東北本線、国道4号が南北に貫き、JR北上線、国道107号が東西に走っている。さらに東北新幹線(昭和57年開業)、東北縦貫自動車道(昭和52年開通)や東北横断自動車道秋田線(平成9年開通)など高速交通体系が整備され、首都圏と2時間30分、日本海とは1時間30分で結ばれるなど「北東北の十字路」である。
■歴史 ~ 北上川舟運の拠点と開田→工業化の進展→産業・文化都市として発展 古くから南北交易と東西交易の交差する地域として栄え、近世、南部藩と伊達藩が境を接するところとして、奥州街道の宿駅、北上川舟運の中継港、秋田に通じる仙北街道の起点となり、物資・情報の交流拠点として栄える。また、南部藩は更なる新田開発を進め、奥寺堰開削などの開拓事業を興し、今日の農業基礎を築く。
明治22(1889)年に市町村制の施行により、黒沢尻町をはじめ近隣の村々が誕生し、戦後は、湯田ダムの建設に伴う農業の大規模な構造改革や工業導入への先駆的な取り組みがなされてきた。昭和52(1977)年に東北自動車道が、昭和57(1982)年には東北新幹線が開通し、東京からの日帰り圏域となり、交通の要衝として、企業誘致などの産業活動にも一段と拍車がかかり産業の集積が図られてきてた。このような中、平成3(1991)年、旧北上市・和賀町・江釣子村の3市町村が合併し、新しい「北上市」が誕生し、近年は工業のみならず、商業や観光面の成長もあり、また、特徴ある文化施設や快適な生活環境の整備が進められたことで、産業都市として、また文化都市として発展する。平成12年地方分権一括法の施行に伴い、本市では、まちづくりの推進体制として「協働」を位置づけ、地域の特色を生かしたまちづくりを進めるため、総合計画の基本計画に地域計画を盛り込むとともに、県内初となる協働推進条例を市民参画で策定し、協働によるまちづくりを進めてきた。
~北東北の産業拠点を目指して~
用地の有効活用と雇用の確保を目指し、昭和28年の工場誘致促進協議会の結成を契機に、積極的な工業団地整備、企業誘致施策を展開する。
昭和39年の中規模内陸工業地区指定を皮切りに、昭和62年に北上川流域テクノポリス、平成5年に北上中部地方拠点都市、平成12年に高度技術産業集積地域に指定され、その中心都市としての役割を担う。
現在は半導体や自動車のほか、産業用機械、医薬・医療機器、食品、建築、グリーン・イノベーション産業など、幅広い業種の集積に取り組んでいる。また、多様な産業集積を活かした連携により、新技術や新分野の開発、新規創業の誘導、内発型の産業の集積・活性化を図っている。